校長室通信
【校長室通信】自立した人(7/2)
みなさん。
こんにちは。
今年の近畿地方の梅雨明けは6月27日でした。
それ以来、早くもうだるような暑さが続いています。私が作ってる田んぼもいよいよ7~10日ほどの断水期に入ります。これは水稲の成長が著しいこの時期にわざと水を断ち、稲の根っこを田んぼの奥深くまで力強く張り巡らせるきっかけを与える大切な工程です。
人間の育て方と植物の育て方とは共通している点が多いな…といつも自然から教えてもらうことが多いのですが、このいわゆる「中干し」の過程などはまさしくその代表的なものだと言えるでしょう。
そんな中、私事で恐縮ですが、我が校の校長室は、ただ今、エアコンが故障しており、修理完了予定日は7月20日前後と伺っています。お客様を毎日、たくさん迎える校長室ですが、現在は空調が扇風機しかないので、とても申し訳なく思っています。
今現在、そのような環境の校長室で毎日執務を執り行っているのですが、今も汗が額や顎からこぼれ落ち、書類とキーボードを濡らしてしまうような状況です。でも、ほんの10年ほど前であれば、どの学校の職員室も教室も、そしてもちろん校長室もそうだったな、生徒たちも先生方もみんな、そんな暑さに耐えて勉強に、部活動に、そして校務に励んでいたのだな、と思い返しながら、暑い校長室でこの原稿を書いているところです。
ところで、私たちはよく「強い人」「弱い人」という言い方をします。でも、私は、弱さをもっている人は優しさをもっている、と思っています。だから、「弱さ」もときには大切にしてほしいのです。
例を挙げます。
ムキムキマッチョな人に対して小さい子どもがパンチをしてもまったく効きません。このように強い人は痛みに鈍感になってしまうところがあります。
他人が困っていても、他人の足を踏んでも自分が強い人は
「甘えるな。」
「それがどうした。」
「たいしたことない。」
「情けないヤツ。」
と思うようになってしまう傾向があるのです。
私たち教師は、子どもたちに「自立する人」になってほしいと願っています。でも「自立」と「孤立」とは違います。
どんなに強い人でも、人は1人だけでは決して生きてはいけません。特に社会に出ると実感を伴ってそう感じます。
「何でも自分でする。」「人を絶対に頼りにしない。」そんな人はいないのです。
社会に出たときに(学校でも)大切なのは困ったときに「助けてください。」「手伝ってください。」と素直に言えることです。また、そう言える相手を見つけることだと思います。
そういう人を「自立している人」というのではないでしょうか?
私は、今からの時代を生きていく子どもたちに、そんな「自立している人」になって欲しいと思っています。
【校長室通信】AIはドラえもん(6/2)
みなさん、こんにちは。
今年のカレンダーも早くも6枚目となり、季節の移り変わりの早さには驚きを禁じ得ない今日この頃です。
お恥ずかしい話ですが、一宮町北部に住んでいる私はこの週末、漸くコタツを片付けました。
それでも、朝5時に起きて田んぼに水をあてに行った後では、身体が冷えてやはりコタツに潜り込みたいなあ…と思ってしまいます。苗の生育もまだ十分ではなく、例年よりも涼しい日々が続いているように感じられますが、天気予報によるとこの後は夏日や真夏日が続き、また熱中症を心配する日々がやってきそうです。子どもたちが熱中症になることなく、みんな元気でもうすぐやって来る夏をめいっぱい楽しんでくれればな…と願っています。
さて、先日、有名な脳科学者である茂木健一郎さんがAI(人工知能)について書かれたエッセイを読む機会に恵まれました。そのなかで「面白いな。」と感じた内容がありましたので、今回はその記事からみなさんに少しご紹介させていただきます。
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AIという言葉はよく聞くけれど、いったいどのようなものなのか、分からないという方が多いです。
そこで私はよく分かる例えとして最近は「AIはドラえもんだと思えば分かりやすいですよ。」とお話することにしています。
全世界で愛されるキャラクターとなったドラえもんをAIだと思えば、俄然、親しみも湧いてくるのではないでしょうか。「AIに対する見方が180度変わった」と言う人もいそうです。
AIがドラえもんとすれば、人間はのび太。こう言われて「うれしい!」と喜ぶ人は少なそうですが、実はこの両者の関係は人間とAIのかかわりを理解するうえで大いに役立つことなので、この例えを活用して話を進めていきます。
◎人間はラクをしようとする生き物
ドラえもんは、未来からやって来て、さまざまな秘密道具でのび太を助けようとします。のび太はと言えば、勉強もスポーツもできないダメ小学生。一生懸命やれば、勉強もスポーツもできるようになるのかもしれませんが、「どうせうまくいかない」という負け犬根性がしみついているせいか、何ごとにも本気で取り組もうとしません。
そんなのび太にはずる賢いところがあって、宿題をやるにしても、ドラえもんにポケットから秘密道具を取り出すように懇願して、それを使おうとします。早い話が、ラクをして宿題をかたづけようとします。いかにも人間がやりそうなことです。
秘密道具には、子どもだけではなく、大人が欲しがりそうなものもたくさんあって、たとえば、アンキパン。食べると、暗記できてしまうので、もし実用化されれば、欲しがる人はたくさんいるに違いありません。テストの前に、このアンキパンを食べれば、100点満点を取れそうです。
もっとも、マンガ(アニメ)では、オチがあります。のび太がその秘密道具を悪用して壊したり使いものにならなくしたりして、結局は宿題を自分でやる羽目に陥ります。ずるいことをして宿題を終わらせることはできないよ、という教訓です。
AIとは、秘密道具を持ったドラえもん。こう言うと、AIが人間にとってどういう存在になり得るかが、理解できることでしょう。現実の世界では、まだアンキパンはもちろん、タケコプターやどこでもドアも開発されていません。
そうした道具が実用化されていない現在においてさえも、AIは、人間にとってドラえもんの秘密道具に相当するほど画期的なものなのです。うまく使いこなせば、効率化や生産性が格段に向上します。逆に、使いこなせなければ、私たちはその恩恵にあずかることができません。
◎秘密道具を使った後どうするか
話はここで終わりません。ドラえもんの秘密道具を使って宿題を終わらせたのび太は、それで終わり。宿題以外のところをもっと勉強しようとか、余った時間を有効活用してスポーツをしようとか本を読もうとか思ったりもしません。宿題を終わらせたら、マンガやテレビを見たりするだけ。成長意欲はゼロ。
もし、のび太が秘密道具を使って宿題を早く終わらせて、余った時間で興味を持ったことについて勉強しようとしたり、スポーツをやったりすれば、成長できます。おそらく学力も伸びるし、スポーツも前よりはできるようになるでしょう。
ドラえもんの秘密道具を使って宿題を終わらせて、ほかに何もしないのび太と、ドラえもんの秘密道具を使って宿題を早めに終わらせて、それ以外の勉強やスポーツをするのび太。もしあなたがのび太だとして、どちらになるのを望むかと言えば、間違いなく後者でしょう。
AIに何かを指示して、そのとおりにやれば、仕事は早く終わるし、それなりの成果も見込めます。ただし、早く終わった分、ほかに何もしなければ、ヒマを持て余すだけ。それでは成長もしないし、いずれAIを使いこなすこともできなくなって、淘汰(とうた)されかねません。
AIを使いこなす人になることが大切なのです。ドラえもんの秘密道具を使って宿題を終わらせて、その余った時間を有効活用して、勉強にもスポーツにも貪欲に取り組めば、学力も伸びるし、スポーツももっとできるようになります。いわば、成長するのび太になれるのです。
AIの指示に従うだけの人は、成長しないのび太。AIを使いこなす人は、成長するのび太。これからのAI時代は、誰もがどちらかののび太になり得ます。
どちらののび太になるのかは、あなた次第なのです。
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私もICTがあまり得意な方ではありません。でもAIをはじめとする最新のテクノロジーに使われるのではなく、上手に使いこなし、余った時間を本当に大切なことのために使う人生を送りたいものだ…と考えさせられたエッセイでした。
みなさんは、どう思われましたか?
【校長室通信】イチローの55歩(5/2)
みなさん。こんにちは。
今回は、最近、読んだ本の中に「なぜ、ルーティンは、大切なのか。」という記事が載っていて、とてもこころに残りましたので、この場をお借りして、みなさまにご紹介させていただきたく思います。
それはイチロー選手のお話です。
イチロー選手の言葉に「『普段の自分』でいることが僕の支え」というものがあるそうです。
彼は現役の時、ヒットが出るから好調、ヒットが出ないから不調…というのでは、一流ではない、と常に言っていました。不調なのは、ヒットが出ない感覚をその打席で終わらせられないこと、つまり、失敗を引きずることだというのです。
そうならないために、彼はいつも平静、冷静でいられる「普段の自分」を保つ努力を欠かしませんでした。
イチロー選手の試合のビデオ映像を注意深く確認すると、あることに気づきます。バッターボックスに入って構えるまでの一連のセレモニーは、あまりにも有名ですが、驚嘆するのは、それ以外のすべての所作も同じであることです。
例えば、試合開始で守備につくとき、ベンチから飛び出してきた彼は、必ず19歩から20歩目でファールラインの白線を越えます。そして自分の守備位置、ライトをめざすのですが、いつも40歩目で走りを緩め、それから15歩歩いて守備位置につきます。
イチロー選手自身は、このルーティンについて詳細なことは語っていませんが、彼はこの約束事を厳格に守ることで「いつもの自分である」ことをセルフコントロールしているのではないでしょうか。
対して自分自身の生活を顧みてみると失敗したときに常にいろいろなことに責任転嫁してしまう自分に気がつきます。「今日、スピーチで失敗したのは、昨日睡眠不足だったからだ。」とか「友人と喧嘩してしまったけど、相手が機嫌が悪かったからだ。」とか。
失敗を他人や環境のせいにしてしまうことは簡単ですが、そうすることで真に反省する機会を失し、また失敗を積み重ねてしまう…。自分の人生を振り返ってみるとそんな愚かしさの繰り返しです。
イチロー選手のようには、とてもなれませんが、これからは、せめて失敗してしまったときに、その原因を他に求めるのではなく、自身に返せる、そんな強さを育てていきたいものだ…と改めて思ったひとときでした。
【校長室通信】「夢と自信をもち 未来に向かって粘り強く挑戦する たくましい生徒の育成」 ~夢に向かって挑戦し続ける山南生~(4/8)
みなさま。こんにちは。
私事ながら、山崎南中学校長として2年目を迎えることができ、とても嬉しく思っています。
今年度もどうぞよろしくお願いします。
さて、4月7日、眩しい春の日差しが降り注ぐ中、今年も満開の桜の花に迎えられ、城下小学校より43名、戸原小学校より4名、そして他校区からの転校生1名を加えた計48名の新入生が本校の校門をくぐりました。
このタイミングで新2年生にも2名の転入生があり、これで今年度の全校生徒は、総計141名となりました。昨年度からは9名の増加です。少子化が進行している昨今の宍粟市において、全校生徒数が増加したということは大変有り難いことであると思っています。
また、この度の定期人事異動で本校からは、みなさんに長年にわたりお世話になった谷尻教頭をはじめ、6名の教職員が去り、新たに新任2名を含む8名の教職員が転入して参りました。「数は力」という訳ではありませんが、常に生徒の側にあり、生き方の範を示す先生方の数が2名増加したことは、あらまほしいことであり、こちらも大変嬉しいことです。
特に今回転入してきた職員を概観しますと、年代的にも20代の新任から60代のベテランまでとバラエティに富んでおり、また豊かなパーソナリティを備えた先生方ばかりです。転入教職員はみな、早く本地域を知り、校区の文化に触れ、生徒や保護者・地域の方と語りあう中で、信頼関係を築きたいという意欲に溢れています。
それに引き換え、私は相変わらず浅学非才で力が足りません。しかし、本校職員と一丸となって山南中をより一層、素晴らしい学校とするため全力を尽くす意欲だけは誰にも負けないつもりです。
みなさまにおかれましては、昨年度以上にこれからもご指導・ご助言、学校運営にご協力いただきますよう、お願い申し上げ、新年度当初のごあいさつとさせていただきます。
【校長室通信】宇宙人はいるのか?(3/3)
早いもので、もう3月。
個人的なことで恐縮ですが、先日、私は、松山沖まで魚釣りに行ってきました。真夜中に宍粟を出発し、松山港から船に乗って魚釣りを始めたのが午前5時頃…。朝の東の空には、もう「夏の大三角」が昇ってきていました。そのことからも季節が着実に進んでいるのだなあ…と感慨をもちました。
そこで今日は、宇宙についてのお話です。
テーマは、「宇宙人は本当にいるのか?」
(東京工業大学・地球生命研究所所長 関根康人さんのインタビュー記事から)
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地球外生命体を探すために今は、「液体の水・有機物・エネルギー」のある星を探しています。でも、そもそも生命が誕生するためには、それプラスアルファで何が必要なのか、あるいは必要でないのかは、実は分からないんです。実験室でゼロから生命を作ろうと思って、有機物を入れて、エネルギーになるものを入れて、水を入れて循環させても生命は誕生しません。生命が誕生するためには、きっと我々の知らない条件があるはずなんです。
例えば火星とエンセラダス(土星の月)を比べます。エンセラダスには海(地面の下にある地下海)はありますが、陸も大気もありません。熱水があるだけで、太陽の光も入らない。一方、火星には、地表にわずかな水があり、太陽の光が降り注ぎます。二酸化炭素が主体ではありますが、大気があり、薄い酸素も陸地もある。でも深い海はない。ところが、地球には、全部あるんです。深い海もあれば、陸もあれば、大気もある。
もし、仮に火星に生命がいて、エンセラダスに生命がいないと分かると、生命の誕生にはひょっとしたら陸地や太陽の光、大気という存在が必要かもしれないと分かります。逆に、エンセラダスに生命がいて、火星にいないとなると、エネルギーが常に与えられる熱水環境が地球でも生命誕生の場だったのかもしれない、となります。つまり、生命誕生に何が必要か、浮き彫りになるはずです。
私たちは、究極的には「自分が何者か?」という問いの答えが欲しいのだと思います。自分と相手を比べると、何が自分らしいことなのかはっきりしてくるじゃないですか。例えば外国に行くと日本がどういう国で、日本人は、どういう人たちかを知ることができます。地球外の生命を知ることで、人間が何なんだろうということが分かるのではないかという気がしています。
いまから20年以内に地球外生命体が実際に発見されるかもしれなくて、今は、“生命発見前夜”という気がします。いよいよ、そういうところに来ているという気がしています。
2023年4月には、「JUICE」という探査機、引き続いて今年の10月には「エウロパクリッパー」という探査機が木星に向けて打ち上げられ、2020年代から30年代にかけて、木星の月である「エウロパ」や「ガニメデ」というエンセラダスのような地下に海がある天体で探査が行われます。その海のなかにひょっとして生命が発見されるかも知れません。みなさんも楽しみにしておいてくださいね。
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私は地球人以外の知的生命体がいると嬉しいなあ…と思っています。だって、この広い宇宙の中で知性をもつ生命体が私たちだけなんて、とても寂しいじゃないですか?
みなさんはどう思われますか?
【校長室通信】不便さがくれたもの(2/3)
みなさま。こんにちは。
まだまだ寒い日が続いていますが、暦の上では立春を過ぎ、春となりました。
先日、近所の空き地に小さなふきのとうを見つけ、自然の確かな歩みを実感した今日この頃です。
一方でインフルエンザや新型コロナウイルス感染症の流行も続いていますので、みなさまにおかれましては、充分に健康にご留意なさり、お過ごしいただきますようお願い申し上げます。
さて、先日、教育に関するコラムを読んでいて、まさにその通りだな、と考えさせられた部分がありましたので、抜粋してみなさまにもご紹介させていただきたいと思います。
今の子どものおかれている状況は昔と大きく変化しています。いわゆる自然離れ、体験不足が凄まじい早さで進行しています。
今は、豊かで便利な時代になりました。その一方で、考える習慣やこころで感じる体験が減ったと思います。
便利というのは言い換えれば、手続きをカットするということです。
いうまでもなく便利なことは、良いことです。しかし、教育的には、一概に良いとは言えないところがあります。
真の学びとは、何でしょうか。
確かに豊かさ、便利さの恩恵にあずかることも大切です。
コンピューターをうまく使えたり、プリペードカードを使いこなせたりすることも大切です。
しかし、もう一方ではあえて不便さを味わい、思考を丹念にたどっていくことも大切なことです。
そうすることにより 感性、そして論理的に考える力が身につきます。
ノーベル賞を受賞した白川先生は、
「私は、こどもたちの学力が落ちたとは、思っていない。しかし、好奇心は間違いなくなくなってきている。」
と言われました。
一例を挙げると、私たちの世代以上の人は、機械が故障すると分解して何とか自分で直せないか…という工夫をしていました。例えば、時計が故障するとネジを外し、分解をされた経験をおもちの方が中年以上の人の中には多いと思います。すると精巧な歯車がたくさん噛み合い回っていたり、小さなバネが精巧に組み入れられていたり、ととても興味深く、感動的なものでした。
しかし今、時計を分解してみてもICと電池が入っているだけで、何の感動もありません。
同じように昔のこどもたちは、川や海でとってきた魚を自分で捌いて食べていました。するとそのとき、浮き袋があり、胃腸があり…、大きな魚の胃袋の中には別の魚が入っていたり…。そういうことに気付いたものです。
でも今は、魚は刺身で泳いでいると思っている子がいるそうです。
そのような子どもには本当の生活はないといえるのではないでしょうか。
本当の生活というのは、いろいろなことに直面し、悩んだり、工夫したり、考えたりする中で紡がれるものです。
「生活する」とは、考えることと言い換えても過言ではありません。
こどもが靴の紐が上手く結べないからといってマジックテープで留める、これは良いことなのでしょうか。(以下省略)
国は、「リアル」と「バーチャル」の調和が進んだ柔軟な社会の実現に資する教育がこれからは大切だ、と述べていますが、私は、これからも特に「リアル」を大切にしていく教育活動を工夫していきたいと思っています。五感やそれを補完する第六感から得る学びこそが「主体的な学び」に繋がると思うからです。
みなさんは、このコラムを読んでどんなことをお感じになりましたか?
【校長室通信】明けましておめでとうございます(1/6)
みなさま
新年明けましておめでとうございます。
旧年中はいろいろな面で大変お世話になり、本当にありがとうございました。
今年も山崎南中学校をどうぞよろしくお願いします。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、ということわざにあるように、今日はもう1月6日。明日には、いわゆる「七草がゆ」を迎えます。
今から立春までは、一年で最も寒い時期なのですが、その間にも季節は春に向けてその歩を進めていきます。
植物は、これからゆっくりと芽吹き、早春の雰囲気を漂わせていくのです。
そこで、今回は新年1回目の通信ということで、春の七草について解説してみたいと思います。
私は中学校の理科教諭だったころ、1年生には、入学当初に必ず「春の七草」を暗記させ、また野原に連れ出して「春の七草」の実物を採取させることを授業の導入としていたことがありました。
この「七草がゆ」の文化は、中国から伝わったものです。昔から中国では、1月7日に1年間の無病息災を願うため、7種類の野菜が入った食べ物を食べる文化がありました。一方日本では、年の初めに若菜を摘み、新しい生命力をいただくという「若菜摘み」の文化がありました。平安時代に中国の吸い物を食べる習慣が日本に伝えられ、この「若菜摘み」とが交わり、「七草がゆ」になったと言われています。春の七草にはそれぞれ次のような意味や効能があります。
セリ:「競り勝つ」という意味があり、胃腸の調子を整えて食欲を増進させる効果があります。
ナズナ:「撫でて汚れを除く」という意味があり、利尿作用や解毒作用があります。
ゴギョウ:「仏体」という意味があり、のどの痛みを和らげるなど咳や痰に効果があります。
ハコベラ:「繁栄がはびこる」という意味があり、胃炎などに効果があります。
ホトケノザ:「仏の安座」という意味があり、胃の調子を整えて食欲を増進する効果があります。
スズナ:「神を呼ぶ鈴」という意味があり、胃腸の調子を整え消化を助ける作用があります。
スズシロ:「汚れのない清白」という意味があり、風邪予防の効果があります。
やはり昔から伝わる文化には、相応の意味があるものです。みなさまも「七草がゆ」を召し上がるときには、味とともにその効能も噛みしめて召し上がってみてはいかがでしょうか。
【校長室通信】嬉しいお知らせです(12/3)
みなさん。
こんにちは。
いよいよ今年のカレンダーも残り一枚となりました。本当に月日の経つのは早いですね。
学校現場でも、「師走」という名が示すとおり、(本来の師走の語源は、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月にあるということですが…。)本校の先生方も期末試験、学期末の成績提出、3者面談、生徒会役員の改選…と大変多用な毎日を過ごしています。
そんな毎日ですが、先日、嬉しいニュースが飛び込んできました。
本校のホームページが 一般社団法人「教育のための科学研究所」が主催する「edumap学校ウェブサイト大賞・特別賞」に選定されたのです。
これは、全国でedumapのシステムを活用したホームページを運営している1000以上の機関の中から毎年、3校のみに贈られる賞です。
その授賞式が、去る12月1日(日)に、東京都渋谷区にある代々木ゼミナール・代ゼミタワーで行われ、本校を代表して私が出席してきました。
受賞した他の2校(最優秀賞は宮城県七ヶ浜町立七ヶ浜中学校、本校と同じく特別賞は京都府舞鶴市立倉梯小学校)の校長先生と交流を深め、それぞれのホームページの素晴らしさも学ぶことができました。貴重な経験ができたこと有り難く思っています。
これを励みに本校のホームページもより一層充実させていきたく思います。(既に幾つか改善していますが、お気づきになりましたでしょうか?)
これからも山崎南中学校のホームページをどうぞよろしくお願いします。
【校長室通信】なぜ、勉強しないといけないの?(11/1)
みなさん
こんにちは。
いよいよ11月となり、秋本番です。
私は宍粟市の北部に住んでいるのですが、ハナミズキや柿の葉が漸く色づき、紅葉のシーズンが到来したな…と感じられる霜月の初めとなりました。これから紅葉はプラタナスや銀杏・楓へと進み、秋が北から、また山の頂から徐々に麓へ、そして南へ…とやってくるのでしょうね。夜もだんだんと長くなり、「灯火親しむの候」「勉学の秋」という言葉が実感をともなって感じられる今日この頃です。
今、この文章を書いている校長室にも文化祭を明後日に控えた生徒たちの気合いの入った合唱練習が秋雨の中で遠く、そしてまた時には近く響き、とても良い雰囲気です。
さて、「勉学の秋」ということで今回は「学習する意味」について書いてみたいと思います。
「なぜ、勉強しないといけないの?」
よく子どもたちはこんなことを言います。
みなさんなら、この問いに対して何と答えられますか?
いろいろな考え方があるとは思いますが、参考までにこんな答えはいかがでしょうか?
1 フーテンの寅さんは?
「フーテンの寅次郎」シリーズは渥美清さんが亡くなって終了しましたが、長く続いた映画でした。
この中で、山田洋次監督のシリーズ第40作「寅次郎サラダ記念日」で、寅さんは、「おい」である満男の「何のために大学に行くのか」という問いに、こう答えます。
「生きているといろんなことがあり、決断しなければならないことがある。そういう時に、学問をしていない人間は、その時の気分とか、出たサイコロの目とかで決めてしまう。そういう時、学問をしている人間は、こうするとああなる、ああするとこうなると、道筋を立てて考えて決めることができる。そのために勉強しに大学(高校)に行くんじゃないのかい。」というようなことを言っています。すーっと頭に入りませんか?
さすが寅さんですね?!
2 教育哲学者・苫野一徳さんは?
だれもがみんな、<自由>に生きたいと思っています。
でも、<自由>に生きるためには、必ず何らかの「力」がいるのです。
例えば、読み書き・基礎的な算数ができなかったとしたらどうでしょう?きっと、電車に乗ることも買い物をすることも困難でしょう。そればかりか、契約書が読めないばかりに誰かに騙されて、まるで奴隷みたいに働かされてしまうとううことだってあるかもしれません。
それはとても<不自由>なことです。
もちろん必要なのは、読み書き等の基礎的な「力」だけではありません。スポーツ選手になりたいのであれば、そのための「力」がいるでしょう。学者になりたいのなら、膨大な「知識」がいるでしょう。世界で活躍するビジネスマンになりたいのなら、外国語力や世界についての「教養」がいるでしょう。
私たちは、<自由>に生きるために実にさまざまな「力」を必要としています。
勉強することは、これらの私を自由にしてくれる「力」を身につけることなのです。
誰からも束縛されず、自由に自立して生きていくためには、そのための「力=知識・技能、思考力・判断力・表現力、意欲的に学習に取り組む態度」が必要。だから勉強しなければならない。この考えもシンプルで分かりやすいですね。
みなさんは「勉強することの意味」についてどう思われますか?
【校長室通信】「私の名前は・・・」(10/1)
みなさん。
こんにちは。
とても暑く長かった今年の夏…。
でも最近は漸く朝晩涼しくなり、秋の訪れが如実に感じられるようになりました。
私が住んでいる自治会でも秋のお祭りが近くなり、連日夜には獅子舞の練習が行われています。
私も何も夜に用事がないときには練習に参加するようにしています。もちろん、若くはないので「獅子をつかう」ことは今ではできませんが、笛や太鼓担当として頑張っています。
稲刈りが終わり、お祭りが終わるといよいよ秋も深くなり、紅葉のシーズン。そして年末…と本当に月日の経つのは早いものです。
さて、先日、とある銀行の待合で雑誌を読んでいて面白い詩に出会いました。作者は失念してしまったのですが、この場をお借りしてみなさんにご紹介したいと思います。
題名は「私の名前は・・・」です。
「私の名前は・・・」
私の名前は「失敗」です
私はあきらめる人が大好きです
でも、あきらめない人は大嫌いです
私は他人のせいにする人が大好きです
でも、自分の責任で考える人は大嫌いです
私は疲れている人が大好きです
でも、元気な人は大嫌いです
私は後ろ向きな人が大好きです
でも、前向きな人は大嫌いです
私は夢のない人が大好きです
でも、夢を持っている人は大嫌いです
私はいつも大好きな人に、まとわりついて行きます
そして、隙を見て、心の中に忍び込んで、その人のエネルギーを吸い取るんです
でも、時々大好きだった人が、大嫌いになってしまうこともあるんです
人間って、私に内緒で、勝手に変わってしまうんですよ
そんな時は、さっさと逃げることにしています
変わる人は大嫌いです
私が大嫌いになったあなたは・・・
成功者です
いかがですか?
私も「失敗」に嫌われる人をめざしたいものです。