梅の花がほころび、まさしく三寒四温の日々が続いています。
春はもうすぐそこまで…。
我が校を力強く引っ張ってくれた3年生が卒業式を迎えるまであと1週間を切りました。
毎年のことなのですが、校長としては「いよいよ,旅立ちの日も近いんだな。」とさびしい気持ちになってしまう今日この頃です。
さて、先日、ある雑誌で「子育てと躾」についての対談記事を読みました。
教育に携わる者として、とても考えさせられる内容でしたので、かいつまんでみなさまにご紹介したいと思います。
「かつては近所の子ども同士で遊び、上下関係や距離感を自然と学べる場がありました。しかし、今は少人数化と生活の個室化が進み、子ども同士の小さな衝突を経験する機会が極端に減っています。そういう背景もあり、家庭内での親子関係はとても重要度が増しています。」
「一方で残念ながら十分に躾をしない親も存在します。子どもに嫌われたくないという気持ちから、やっていいこととやってはいけないことの境界線を親が示さなくなってきているのです。」
「『感情的に叱らない育児』が、現在は、もてはやされる傾向にあります。でも、本来『感情的に叱らない』とは頭ごなしに否定しない、子どもの気持ちをまず受け止める、というコミュニケーションの姿勢を指していたはずです。しかし、実際には、感情的に叱らない=何も言わない、となってしまっているケースが少なからず見受けられます。」
「子どもが泣いたり怒ったりすると『自分の育て方が間違っていたのではないか?』と親の方が不安になってしまったり、子どものご機嫌を取る行為に安易に走ってしまったりする親がいる。これでは子どもたちは善悪を判断することができるようになりません。」
「本来、叱ることは子どもを否定することではありません。『ここまでは大丈夫だよ。ここから先はだめだよ。』とガイドラインを示す行為なのです。しかし、叱らないことが“優しさの証明”になると、子どもに示すべき大切な境界線が見えなくなってしまう危険性があります。」
「背景には、親自身の余裕のなさもあるでしょうね。仕事と育児の両立、SNSで垂れ流される『これが正解だ!』のような子育て——親たちは常に疲弊し、判断力を奪われている。」
「叱れば泣く。泣かれれば自分がつらい。だったら言わないほうが楽ーこういった構図が見え隠れする。」
「善悪がわからないまま育てば苦労するのは親ではなく実は当の子どもなんです。」
「あるスーパーで働いているパートさんから聞いたお話なのですが、売り物のお菓子の口を開けて、食べてしまった子どもがいたらしいのです。そこで、そのパートさんが子どもに注意しているとお父さんとおぼしき人が近寄ってきて、思いもかけない行動に出たのです。」
「お父さんは何事もなかったようにそのお菓子を買い物カゴに入れたんです。パートさんは驚いて思わず、そのパパを凝視してしまったそうです。すると…お父さんは逆に睨んできて『ーなんか文句あるんすか?どうせ買うんやから別にええやん。』と言ったそうです。」
「その場を通りかかった店長が『お父さん、あのですね…。』と丁寧に間に入ってくれたんですけど、最後までそのお父さんが謝ることはありませんでした。終始、『何がいけないんですか?』という態度。その上、最後に子どもに一言…『 ーはぁ…。もっと上手くやれや…。』」
「本当に驚きましたし、こういう人が子育てをしている現実に愕然としました。」
「まだお金を払っていない商品の口を開けることがいけないことだとその子は知らずに育つんですよね?」
「ダメなことはダメと教えるのは大人の責任です。それすら放棄しているような人が親になってきているんですね。ダメだと言わないのか、それとも言えないのか。その背景に見え隠れする子どもへの興味のなさ、言い方を変えれば自分のことしか考えていない大人たちの増加。これは日本が抱える大問題なのかもしれませんね。」
もちろん、そんな大人ばかりではないのでしょうが、空恐ろしくなるような話ではあります。
愛情の対義語は憎しみではなくて、無関心…という言葉がありますが、まさにその通りだな、と思わせられた記事でした。
みなさんはどうお感じになりましたか?