校長室通信

 人はみな幸せを求めて生きています。
 でも、「あー幸せだな。」と常に感じ、毎日を楽しく明るく、生活できている人は少ないとも言われます。
 なぜ、多くの人は、幸せを感じられないのでしょうか?
 お金持ちになりたい人は、お金を稼ぐために一生懸命努力をします。
 高学歴を身につけたい人は、そのために一生懸命勉強をします。
 オリンピックで金メダルを取りたい人は、その競技に常に真剣に打ち込みます。
 しかし、その目標を叶えることは、必ずしも簡単ではありません。
 むしろ、叶えられずに諦めてしまうことを選ぶ人の方が大多数ではないでしょうか。
 その結果、挫折や妥協を余儀なくされ、「こんなはずではなかったのに…。」「これだけ努力したのに…なぜ、うまくいかないんだ。」と不平や不満が生じてきます。そうすると人はなかなか幸せを実感することができにくくなります。
 この課題に対しては、たまに「過程を楽しめばいい。」「結果にこだわらなければ良いのではないか。」という答が返されることがあります。
 これも、一つの真理ではあるのですが、なかなかそうなれないのも人間ですよね。
 加えて、もし自分の目標が叶って、お金持ちになっても…高学歴を身につけても…金メダルを取っても…本当に幸せになれるのかどうか、ということについては、誰も保証してくれません。未来のことは分からないからです。
 アメリカ、ハーバード大学の心理学部では、実はこの難解な「幸せの条件」について何と75年ものあいだ、継続した研究がなされ、やっとで幸せな人生を実現している人の共通点についてある答が出されたそうです。
 その結果、人が幸せを感じるための条件は、お金でもなく、学歴でもなく、名誉でもないことが分かってきました。

 みなさんは、その条件とは一体何だと思われますか?

 

 その答とは、「あたたかな人間関係を築くことができるかどうか。」というものでした。 
 何と簡単な、でも考えようによっては難しい答でしょうか。
 「あたたかな人間関係を築く力」は、どのようにすれば育てることができるのでしょうか。

 この問いに対しての明確な答を私は知りませんが、この力は、人と人とがふれあう中でしか育てられないということだけは確かでしょう。そして、まさにここに教育というものの醍醐味・大切さがあるように思います。
 私は、これからも、この「あたたかな人間関係を築く力」を常に意識して、さまざまな場面をとおして目の前にいる子どもたちに培っていきたいと考えています。

 みなさん、こんにちは。

 果てしなく暑かった夏もようやく終わりを迎え、特に朝夕の涼しさと爽やかな空気に秋の訪れを感じられる頃となりました。

 雨天のために2日間の延期開催となりましたが、10月6日に開催した体育祭には、平日にもかかわらず多くのみなさんのご来校を頂き、厚くお礼申し上げます。

 生徒たちも「桜梅桃李」のスローガンのもと、素晴らしい集中力ですべての演技に取り組んでくれました。

 校長として自画自賛になりますが、山南中らしい清々しくあたたかい体育祭となったと思います。

 生徒、職員、ご家族、地域、来賓のみなさまにあらためて感謝申し上げます。

 本当にありがとうございました。

 

 さて、先日ある小説を読んでいてとても考えさせるエピソードに出会いましたので、みなさまにご紹介させていただきます。

 

 テーマは「誰にでもできる仕事とその人にしかできない仕事」です。

 

 その小説の主人公の青年は35歳です。彼は小さい頃から「人生において何かを残したい。特別な何かを手に入れたい。」と思っていました。

 自分だけでなくすべての人には何か「スペシャル」な才能があるはずだ。多くの人はその「何か」に出会う努力を怠っているから、何も残せずにこの世を去ってしまうのだ。でも自分は違う。自分の中にあるエネルギーをすべてぶつけることができるその「何か」をまず自分は見つけるのだ。それから、その「何か」に真剣に取り組んで、歴史に名を残すのだ。

 彼はそう考えていました。

 そこで、彼は小さいときから多くの分野にチャレンジしていきます。サッカー、野球、卓球、ゲーム、作文、俳句、短歌、料理、裁縫、絵画、習字、和太鼓…果てはセパタクローというやや特殊な球技やフラメンコ、ビリヤードまで。

 でも、どれもしっくりきません。

 彼の考え方は成人してからの仕事選びにも及びます。「自分が力を発揮できる仕事=自分にしかできない何か特別な仕事」を探して35歳になるまで既に10回も転職し、そのたびに一から仕事を覚え直す…。そんな日々が続いていました。

 でも、彼ももう35歳。「本当に自分の人生、このままで良いのだろうか?」という疑問が度々、彼を襲うようになります。

 そんなある日、神様が彼のもとに現れて啓示を与えます。

 「おまえの考え方は根本的に間違っている。」というのです。

 

 神様が言うには歴史に名を残すような偉人、伝説的な経営者ほど「誰にでもできる仕事」を大切にしていたというのです。そして、そんな仕事ほど誰がするかによって差がつくのだと。

 「その人にしかできない仕事」というのは、文字通り、その人にしかできない、だから誰も良いのか悪いのか評価できない。

 でも、誰にでもできる仕事というのは誰にでもできるからこそ万人から適正な評価を受ける、だからその人格や考え方が仕事の中に明確に現れるのだ、と神様は語ります。

 

 この部分を読んで私は道場六三郎さんの回顧録を思い出していました。

 道場六三郎さんといえば、日本料理界にその人有りと言われている、いわば和食界の第一人者です。

 もちろん、道場六三郎さんも最初から和食界のトップだったわけではありません。若いときは苦しい下積み時代があり、その結果として今の栄光があるのです。

 その下積み時代、先輩の料理人から道場さんが一目置かれるようになったきっかけがまさに「誰でもできる仕事」だったのです。

 道場さんが下積み時代、真っ先に与えられた仕事。それは、和食料理店の営業が終わった後の厨房の掃除でした。「厨房の掃除をすることで料理の腕前があがったりするのか?」道場さんも最初はそんなことを考えていたそうです。

 でも、彼は「今、自分にできることを全力でやろう!」と思い直し、寝る間を惜しんで、コンロの周りから鍋の底、壁や床まで毎回、3時間以上かけて、ピカピカに磨いたそうです。その料理店には、他にも若い修行の見習いさんが複数いて、厨房の掃除はローテーションで割り振られていたのですが、そのうち料理店の誰もが道場さんの掃除の後とその他の見習いさんの掃除の後とでは何もかもが違うということを思い知ることになったのです。

 道具や食器の清潔さはもちろん、鍋の片付ける位置やまな板の立てかけ方など道場さんは料理人さんが次の日仕事を始めるにあたってどう掃除すれば快適に仕事ができるか、そんなことまで考えて掃除をされていたというのです。

 すなわち上司から認められたり、良い仕事ができる人というのは「誰にでもできる仕事」を疎かにしない人であり、「誰にでもできる仕事」ほど他の人との差がつく…道場さんはそんなことを自伝に書いておられました。

 

 私たちの身の回りにある「誰にでもできる仕事」。

 

 それに対してどう取り組むべきか?本当の誠実さとはどういうことか?

 それについて真剣に考えさせられたひとときでした。

 いよいよ9月に入り、カレンダーの上では秋になりました。

 一方で 「処暑」という言葉も「立秋」という言葉もまったく相応しくない猛暑が続いていますが、みなさまも十分にご自愛いただき、お身体に気をつけてお過ごしください。

 それでも天気予報によると今週中頃からは秋雨前線が活発になり、そこを境に空気が入れ替わって、朝夕は少し涼しさを感じられるようになるとのことですので「小さい秋の到来」を淡く(?)期待したいと思います。

 さて、今回は「おだてること」についてある本から新しく知見を得ましたので、ここに紹介させていただきます。

 

  「だめ!やめなさい!いけません!」

 私たちは、ついつい子どもに対してこういう「禁止・指示」 の言葉がけをしてしまう傾向があります。

 例えば

  「もうご飯だからゲームをやめなさい!」

  「早く寝なさい!」

 でも、これでは子どもたちが見通しをもった生活を送ることは難しくなってしまいます。その場、その場で大人のいうとおりにしておけば叱られなくて済む…という、いわば、しんどいことや邪魔くさいこと、不快なことを避ける生活態度が身についてしまうのです。

 結果、大人が子どもの人生に対して消極的な生き方への誘導を行ってしまうことに繋がる危険性があります。

 そればかりか、他者に対して依存的になり、自立できず、上手くいかなたったときには周りの人に責任転嫁する癖がついてしまうのです。

 では、どうすれば良いのか?

 その本では、「補助・支援」型の言葉がけをこころがけましょう、と提案していました。

 前述の例でいうと

  「あと20分で晩ご飯だから、ゲームをやめるタイミングを考えておいてね。」

  「明日は早く起きないといけないから、今日の夜はいつまでに眠るようにすればいいのかな。」

 といった具合です。

 この言葉がけのポイントは子どもの力で考えさせ、行動させ、結果については親や先生等、周囲の大人が責任をもつことです。そうすると、子どもは失敗を受け入れ、安心して自分の考えや力で行動することにチャレンジするようになります。

  「おだてる」という言葉には、現代では「あおる」「そそのかす」といったあまり良くない印象もあるのですが、本来の意味は「肯定的な言葉を使って、相手の気持ちを昂揚させる。」ことであり、「育てる」が転じたもの…という学説もあるそうです。日本では古来から上手く「おだてる」文化が大切にされてきたのかもしれません。

 2学期には体育祭・文化祭等たくさんの学校行事が企画されています。

 私たち教職員も上手く子どもたちを「おだてて」その成長を促していきたいと思っています。

 みなさん

 こんにちは。

 梅雨明けと同時に耐えがたい猛暑が続いていますが、お身体には十分にお気をつけてお過ごしください。

 ここ数年、「異常な暑さ」という言葉がマスコミを賑わせていますが、異常もこれだけ続けば異常でも何でもなく、これからの時代はこの猛暑が当たり前になってしまうのかも知れません。困ったことではあるのですが、私たち、人間の経済活動の結果が地球温暖化という事態を引き起こしているのは間違いがない、いわば自業自得ということなのだ、と私は思っています。

 そして、だからこそこの地球温暖化を止めることができるのも人間の知恵と努力に依るしかないと思います。個人にできることは僅かですが、私は自分にできることをこれからも着実にやっていきたいと考えています。(ちなみに私の家では今年まだ一回しかエアコンを使っていません。熱中症には充分に気をつけながら、これからも我慢できるところは我慢する生活を続けていきたいと思っています。)

 さて、話は変わり、毎年8月の声を聞くと私はウキウキしてしまいます。その理由は、夜空にあります。

 ご存じの方も多数いらっしゃるかとは思いますが、8月は一年で最も多く流れ星が見られる時期なのです。流れ星が多く見られる時期は、年間に3回ありますが、夏の夜という一番夜空を見上げるのに快適な季節、しかもお盆の頃に極大期(最も多く流れ星が流れる時期)を迎えるという分かり易さから、注目度が高い「ペルセウス座の流星群」について今回はご紹介したいと思います。

ペルセウス座流星群とは

 三大流星群のひとつ(あとの2つは、1月の「しぶんぎ座流星群」、12月の「ふたご座流星群」)で、年間でも1・2を争う数の星が流れます。(条件が良いと1分間に1個程度の流星が観測されます。)
 ペルセウス座流星群の一般的な出現時期は、7月17日から8月24日まで。極大(最も多く流星が見られる日)は、8月13日頃です。見やすい時間帯は、午後9時から午後10時頃から空が白み始めるまでですので、言い換えれば一晩中、流れ星を楽しむことができます。

 みなさんも、ご多用かとは思いますが、お盆の夜、暗くて夜空が綺麗に見られる広場等に寝転がって、ご家族一緒にひととき、宇宙が見せてくれるスペクタクルな天体ショーを楽しんでみてはいかがでしょうか?

 そのときは、レジャーシート、枕(寝転がるときに必須です。)、虫除けスプレーなどをお忘れなく。

 

 

 みなさん。

 こんにちは。

 今年の近畿地方の梅雨明けは6月27日でした。

 それ以来、早くもうだるような暑さが続いています。私が作ってる田んぼもいよいよ7~10日ほどの断水期に入ります。これは水稲の成長が著しいこの時期にわざと水を断ち、稲の根っこを田んぼの奥深くまで力強く張り巡らせるきっかけを与える大切な工程です。

 人間の育て方と植物の育て方とは共通している点が多いな…といつも自然から教えてもらうことが多いのですが、このいわゆる「中干し」の過程などはまさしくその代表的なものだと言えるでしょう。

 そんな中、私事で恐縮ですが、我が校の校長室は、ただ今、エアコンが故障しており、修理完了予定日は7月20日前後と伺っています。お客様を毎日、たくさん迎える校長室ですが、現在は空調が扇風機しかないので、とても申し訳なく思っています。

 今現在、そのような環境の校長室で毎日執務を執り行っているのですが、今も汗が額や顎からこぼれ落ち、書類とキーボードを濡らしてしまうような状況です。でも、ほんの10年ほど前であれば、どの学校の職員室も教室も、そしてもちろん校長室もそうだったな、生徒たちも先生方もみんな、そんな暑さに耐えて勉強に、部活動に、そして校務に励んでいたのだな、と思い返しながら、暑い校長室でこの原稿を書いているところです。

 ところで、私たちはよく「強い人」「弱い人」という言い方をします。でも、私は、弱さをもっている人は優しさをもっている、と思っています。だから、「弱さ」もときには大切にしてほしいのです。

 例を挙げます。

 ムキムキマッチョな人に対して小さい子どもがパンチをしてもまったく効きません。このように強い人は痛みに鈍感になってしまうところがあります。
 他人が困っていても、他人の足を踏んでも自分が強い人は

「甘えるな。」

「それがどうした。」

「たいしたことない。」

「情けないヤツ。」

と思うようになってしまう傾向があるのです。

 私たち教師は、子どもたちに「自立する人」になってほしいと願っています。でも「自立」と「孤立」とは違います。
 どんなに強い人でも、人は1人だけでは決して生きてはいけません。特に社会に出ると実感を伴ってそう感じます。
 「何でも自分でする。」「人を絶対に頼りにしない。」そんな人はいないのです。
 
 社会に出たときに(学校でも)大切なのは困ったときに「助けてください。」「手伝ってください。」と素直に言えることです。また、そう言える相手を見つけることだと思います。

 そういう人を「自立している人」というのではないでしょうか?

 私は、今からの時代を生きていく子どもたちに、そんな「自立している人」になって欲しいと思っています。

 

 みなさん、こんにちは。

 今年のカレンダーも早くも6枚目となり、季節の移り変わりの早さには驚きを禁じ得ない今日この頃です。

 お恥ずかしい話ですが、一宮町北部に住んでいる私はこの週末、漸くコタツを片付けました。

 それでも、朝5時に起きて田んぼに水をあてに行った後では、身体が冷えてやはりコタツに潜り込みたいなあ…と思ってしまいます。苗の生育もまだ十分ではなく、例年よりも涼しい日々が続いているように感じられますが、天気予報によるとこの後は夏日や真夏日が続き、また熱中症を心配する日々がやってきそうです。子どもたちが熱中症になることなく、みんな元気でもうすぐやって来る夏をめいっぱい楽しんでくれればな…と願っています。

 さて、先日、有名な脳科学者である茂木健一郎さんがAI(人工知能)について書かれたエッセイを読む機会に恵まれました。そのなかで「面白いな。」と感じた内容がありましたので、今回はその記事からみなさんに少しご紹介させていただきます。

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 AIという言葉はよく聞くけれど、いったいどのようなものなのか、分からないという方が多いです。 

 そこで私はよく分かる例えとして最近は「AIはドラえもんだと思えば分かりやすいですよ。」とお話することにしています。

 全世界で愛されるキャラクターとなったドラえもんをAIだと思えば、俄然、親しみも湧いてくるのではないでしょうか。「AIに対する見方が180度変わった」と言う人もいそうです。

 AIがドラえもんとすれば、人間はのび太。こう言われて「うれしい!」と喜ぶ人は少なそうですが、実はこの両者の関係は人間とAIのかかわりを理解するうえで大いに役立つことなので、この例えを活用して話を進めていきます。

◎人間はラクをしようとする生き物

 ドラえもんは、未来からやって来て、さまざまな秘密道具でのび太を助けようとします。のび太はと言えば、勉強もスポーツもできないダメ小学生。一生懸命やれば、勉強もスポーツもできるようになるのかもしれませんが、「どうせうまくいかない」という負け犬根性がしみついているせいか、何ごとにも本気で取り組もうとしません。

 そんなのび太にはずる賢いところがあって、宿題をやるにしても、ドラえもんにポケットから秘密道具を取り出すように懇願して、それを使おうとします。早い話が、ラクをして宿題をかたづけようとします。いかにも人間がやりそうなことです。

 秘密道具には、子どもだけではなく、大人が欲しがりそうなものもたくさんあって、たとえば、アンキパン。食べると、暗記できてしまうので、もし実用化されれば、欲しがる人はたくさんいるに違いありません。テストの前に、このアンキパンを食べれば、100点満点を取れそうです。

 もっとも、マンガ(アニメ)では、オチがあります。のび太がその秘密道具を悪用して壊したり使いものにならなくしたりして、結局は宿題を自分でやる羽目に陥ります。ずるいことをして宿題を終わらせることはできないよ、という教訓です。

 AIとは、秘密道具を持ったドラえもん。こう言うと、AIが人間にとってどういう存在になり得るかが、理解できることでしょう。現実の世界では、まだアンキパンはもちろん、タケコプターやどこでもドアも開発されていません。

 そうした道具が実用化されていない現在においてさえも、AIは、人間にとってドラえもんの秘密道具に相当するほど画期的なものなのです。うまく使いこなせば、効率化や生産性が格段に向上します。逆に、使いこなせなければ、私たちはその恩恵にあずかることができません。

 

◎秘密道具を使った後どうするか

 話はここで終わりません。ドラえもんの秘密道具を使って宿題を終わらせたのび太は、それで終わり。宿題以外のところをもっと勉強しようとか、余った時間を有効活用してスポーツをしようとか本を読もうとか思ったりもしません。宿題を終わらせたら、マンガやテレビを見たりするだけ。成長意欲はゼロ。

 もし、のび太が秘密道具を使って宿題を早く終わらせて、余った時間で興味を持ったことについて勉強しようとしたり、スポーツをやったりすれば、成長できます。おそらく学力も伸びるし、スポーツも前よりはできるようになるでしょう。

 ドラえもんの秘密道具を使って宿題を終わらせて、ほかに何もしないのび太と、ドラえもんの秘密道具を使って宿題を早めに終わらせて、それ以外の勉強やスポーツをするのび太。もしあなたがのび太だとして、どちらになるのを望むかと言えば、間違いなく後者でしょう。

 AIに何かを指示して、そのとおりにやれば、仕事は早く終わるし、それなりの成果も見込めます。ただし、早く終わった分、ほかに何もしなければ、ヒマを持て余すだけ。それでは成長もしないし、いずれAIを使いこなすこともできなくなって、淘汰(とうた)されかねません。

 AIを使いこなす人になることが大切なのです。ドラえもんの秘密道具を使って宿題を終わらせて、その余った時間を有効活用して、勉強にもスポーツにも貪欲に取り組めば、学力も伸びるし、スポーツももっとできるようになります。いわば、成長するのび太になれるのです。

 AIの指示に従うだけの人は、成長しないのび太。AIを使いこなす人は、成長するのび太。これからのAI時代は、誰もがどちらかののび太になり得ます。

 どちらののび太になるのかは、あなた次第なのです。

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 私もICTがあまり得意な方ではありません。でもAIをはじめとする最新のテクノロジーに使われるのではなく、上手に使いこなし、余った時間を本当に大切なことのために使う人生を送りたいものだ…と考えさせられたエッセイでした。

 みなさんは、どう思われましたか?

 

 

 みなさん。こんにちは。


 今回は、最近、読んだ本の中に「なぜ、ルーティンは、大切なのか。」という記事が載っていて、とてもこころに残りましたので、この場をお借りして、みなさまにご紹介させていただきたく思います。

 それはイチロー選手のお話です。
 イチロー選手の言葉に「『普段の自分』でいることが僕の支え」というものがあるそうです。
 彼は現役の時、ヒットが出るから好調、ヒットが出ないから不調…というのでは、一流ではない、と常に言っていました。不調なのは、ヒットが出ない感覚をその打席で終わらせられないこと、つまり、失敗を引きずることだというのです。
 そうならないために、彼はいつも平静、冷静でいられる「普段の自分」を保つ努力を欠かしませんでした。
 イチロー選手の試合のビデオ映像を注意深く確認すると、あることに気づきます。バッターボックスに入って構えるまでの一連のセレモニーは、あまりにも有名ですが、驚嘆するのは、それ以外のすべての所作も同じであることです。
 例えば、試合開始で守備につくとき、ベンチから飛び出してきた彼は、必ず19歩から20歩目でファールラインの白線を越えます。そして自分の守備位置、ライトをめざすのですが、いつも40歩目で走りを緩め、それから15歩歩いて守備位置につきます。
 イチロー選手自身は、このルーティンについて詳細なことは語っていませんが、彼はこの約束事を厳格に守ることで「いつもの自分である」ことをセルフコントロールしているのではないでしょうか。
 対して自分自身の生活を顧みてみると失敗したときに常にいろいろなことに責任転嫁してしまう自分に気がつきます。「今日、スピーチで失敗したのは、昨日睡眠不足だったからだ。」とか「友人と喧嘩してしまったけど、相手が機嫌が悪かったからだ。」とか。
 失敗を他人や環境のせいにしてしまうことは簡単ですが、そうすることで真に反省する機会を失し、また失敗を積み重ねてしまう…。自分の人生を振り返ってみるとそんな愚かしさの繰り返しです。
 イチロー選手のようには、とてもなれませんが、これからは、せめて失敗してしまったときに、その原因を他に求めるのではなく、自身に返せる、そんな強さを育てていきたいものだ…と改めて思ったひとときでした。

 みなさま。こんにちは。

 私事ながら、山崎南中学校長として2年目を迎えることができ、とても嬉しく思っています。

 今年度もどうぞよろしくお願いします。

 

 さて、4月7日、眩しい春の日差しが降り注ぐ中、今年も満開の桜の花に迎えられ、城下小学校より43名、戸原小学校より4名、そして他校区からの転校生1名を加えた計48名の新入生が本校の校門をくぐりました。

 このタイミングで新2年生にも2名の転入生があり、これで今年度の全校生徒は、総計141名となりました。昨年度からは9名の増加です。少子化が進行している昨今の宍粟市において、全校生徒数が増加したということは大変有り難いことであると思っています。

 また、この度の定期人事異動で本校からは、みなさんに長年にわたりお世話になった谷尻教頭をはじめ、6名の教職員が去り、新たに新任2名を含む8名の教職員が転入して参りました。「数は力」という訳ではありませんが、常に生徒の側にあり、生き方の範を示す先生方の数が2名増加したことは、あらまほしいことであり、こちらも大変嬉しいことです。
 特に今回転入してきた職員を概観しますと、年代的にも20代の新任から60代のベテランまでとバラエティに富んでおり、また豊かなパーソナリティを備えた先生方ばかりです。転入教職員はみな、早く本地域を知り、校区の文化に触れ、生徒や保護者・地域の方と語りあう中で、信頼関係を築きたいという意欲に溢れています。

 それに引き換え、私は相変わらず浅学非才で力が足りません。しかし、本校職員と一丸となって山南中をより一層、素晴らしい学校とするため全力を尽くす意欲だけは誰にも負けないつもりです。

 みなさまにおかれましては、昨年度以上にこれからもご指導・ご助言、学校運営にご協力いただきますよう、お願い申し上げ、新年度当初のごあいさつとさせていただきます。

 早いもので、もう3月。
 個人的なことで恐縮ですが、先日、私は、松山沖まで魚釣りに行ってきました。真夜中に宍粟を出発し、松山港から船に乗って魚釣りを始めたのが午前5時頃…。朝の東の空には、もう「夏の大三角」が昇ってきていました。そのことからも季節が着実に進んでいるのだなあ…と感慨をもちました。
 そこで今日は、宇宙についてのお話です。


 テーマは、「宇宙人は本当にいるのか?」
 

(東京工業大学・地球生命研究所所長 関根康人さんのインタビュー記事から)

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 地球外生命体を探すために今は、「液体の水・有機物・エネルギー」のある星を探しています。でも、そもそも生命が誕生するためには、それプラスアルファで何が必要なのか、あるいは必要でないのかは、実は分からないんです。実験室でゼロから生命を作ろうと思って、有機物を入れて、エネルギーになるものを入れて、水を入れて循環させても生命は誕生しません。生命が誕生するためには、きっと我々の知らない条件があるはずなんです。

 例えば火星とエンセラダス(土星の月)を比べます。エンセラダスには海(地面の下にある地下海)はありますが、陸も大気もありません。熱水があるだけで、太陽の光も入らない。一方、火星には、地表にわずかな水があり、太陽の光が降り注ぎます。二酸化炭素が主体ではありますが、大気があり、薄い酸素も陸地もある。でも深い海はない。ところが、地球には、全部あるんです。深い海もあれば、陸もあれば、大気もある。
 もし、仮に火星に生命がいて、エンセラダスに生命がいないと分かると、生命の誕生にはひょっとしたら陸地や太陽の光、大気という存在が必要かもしれないと分かります。逆に、エンセラダスに生命がいて、火星にいないとなると、エネルギーが常に与えられる熱水環境が地球でも生命誕生の場だったのかもしれない、となります。つまり、生命誕生に何が必要か、浮き彫りになるはずです。

 私たちは、究極的には「自分が何者か?」という問いの答えが欲しいのだと思います。自分と相手を比べると、何が自分らしいことなのかはっきりしてくるじゃないですか。例えば外国に行くと日本がどういう国で、日本人は、どういう人たちかを知ることができます。地球外の生命を知ることで、人間が何なんだろうということが分かるのではないかという気がしています。

 いまから20年以内に地球外生命体が実際に発見されるかもしれなくて、今は、“生命発見前夜”という気がします。いよいよ、そういうところに来ているという気がしています。
 2023年4月には、「JUICE」という探査機、引き続いて今年の10月には「エウロパクリッパー」という探査機が木星に向けて打ち上げられ、2020年代から30年代にかけて、木星の月である「エウロパ」や「ガニメデ」というエンセラダスのような地下に海がある天体で探査が行われます。その海のなかにひょっとして生命が発見されるかも知れません。みなさんも楽しみにしておいてくださいね。

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 私は地球人以外の知的生命体がいると嬉しいなあ…と思っています。だって、この広い宇宙の中で知性をもつ生命体が私たちだけなんて、とても寂しいじゃないですか?

 みなさんはどう思われますか?

 

 みなさま。こんにちは。
 まだまだ寒い日が続いていますが、暦の上では立春を過ぎ、春となりました。
 先日、近所の空き地に小さなふきのとうを見つけ、自然の確かな歩みを実感した今日この頃です。
 一方でインフルエンザや新型コロナウイルス感染症の流行も続いていますので、みなさまにおかれましては、充分に健康にご留意なさり、お過ごしいただきますようお願い申し上げます。
 さて、先日、教育に関するコラムを読んでいて、まさにその通りだな、と考えさせられた部分がありましたので、抜粋してみなさまにもご紹介させていただきたいと思います。

 今の子どものおかれている状況は昔と大きく変化しています。いわゆる自然離れ、体験不足が凄まじい早さで進行しています。
 今は、豊かで便利な時代になりました。その一方で、考える習慣やこころで感じる体験が減ったと思います。
 便利というのは言い換えれば、手続きをカットするということです。
 いうまでもなく便利なことは、良いことです。しかし、教育的には、一概に良いとは言えないところがあります。


 真の学びとは、何でしょうか。
 確かに豊かさ、便利さの恩恵にあずかることも大切です。
 コンピューターをうまく使えたり、プリペードカードを使いこなせたりすることも大切です。
 しかし、もう一方ではあえて不便さを味わい、思考を丹念にたどっていくことも大切なことです。
 そうすることにより 感性、そして論理的に考える力が身につきます。

 ノーベル賞を受賞した白川先生は、
 「私は、こどもたちの学力が落ちたとは、思っていない。しかし、好奇心は間違いなくなくなってきている。」
 と言われました。
 一例を挙げると、私たちの世代以上の人は、機械が故障すると分解して何とか自分で直せないか…という工夫をしていました。例えば、時計が故障するとネジを外し、分解をされた経験をおもちの方が中年以上の人の中には多いと思います。すると精巧な歯車がたくさん噛み合い回っていたり、小さなバネが精巧に組み入れられていたり、ととても興味深く、感動的なものでした。
 しかし今、時計を分解してみてもICと電池が入っているだけで、何の感動もありません。

 同じように昔のこどもたちは、川や海でとってきた魚を自分で捌いて食べていました。するとそのとき、浮き袋があり、胃腸があり…、大きな魚の胃袋の中には別の魚が入っていたり…。そういうことに気付いたものです。
 でも今は、魚は刺身で泳いでいると思っている子がいるそうです。

 そのような子どもには本当の生活はないといえるのではないでしょうか。
 本当の生活というのは、いろいろなことに直面し、悩んだり、工夫したり、考えたりする中で紡がれるものです。
 「生活する」とは、考えることと言い換えても過言ではありません。
 こどもが靴の紐が上手く結べないからといってマジックテープで留める、これは良いことなのでしょうか。(以下省略)

 国は、「リアル」と「バーチャル」の調和が進んだ柔軟な社会の実現に資する教育がこれからは大切だ、と述べていますが、私は、これからも特に「リアル」を大切にしていく教育活動を工夫していきたいと思っています。五感やそれを補完する第六感から得る学びこそが「主体的な学び」に繋がると思うからです。

 みなさんは、このコラムを読んでどんなことをお感じになりましたか?


    2025生徒会 めざす学校

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  ~みんな違ってみんないい~


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