【校長室通信】なぜ、勉強しないといけないの?(11/1)
みなさん
こんにちは。
いよいよ11月となり、秋本番です。
私は宍粟市の北部に住んでいるのですが、ハナミズキや柿の葉が漸く色づき、紅葉のシーズンが到来したな…と感じられる霜月の初めとなりました。これから紅葉はプラタナスや銀杏・楓へと進み、秋が北から、また山の頂から徐々に麓へ、そして南へ…とやってくるのでしょうね。夜もだんだんと長くなり、「灯火親しむの候」「勉学の秋」という言葉が実感をともなって感じられる今日この頃です。
今、この文章を書いている校長室にも文化祭を明後日に控えた生徒たちの気合いの入った合唱練習が秋雨の中で遠く、そしてまた時には近く響き、とても良い雰囲気です。
さて、「勉学の秋」ということで今回は「学習する意味」について書いてみたいと思います。
「なぜ、勉強しないといけないの?」
よく子どもたちはこんなことを言います。
みなさんなら、この問いに対して何と答えられますか?
いろいろな考え方があるとは思いますが、参考までにこんな答えはいかがでしょうか?
1 フーテンの寅さんは?
「フーテンの寅次郎」シリーズは渥美清さんが亡くなって終了しましたが、長く続いた映画でした。
この中で、山田洋次監督のシリーズ第40作「寅次郎サラダ記念日」で、寅さんは、「おい」である満男の「何のために大学に行くのか」という問いに、こう答えます。
「生きているといろんなことがあり、決断しなければならないことがある。そういう時に、学問をしていない人間は、その時の気分とか、出たサイコロの目とかで決めてしまう。そういう時、学問をしている人間は、こうするとああなる、ああするとこうなると、道筋を立てて考えて決めることができる。そのために勉強しに大学(高校)に行くんじゃないのかい。」というようなことを言っています。すーっと頭に入りませんか?
さすが寅さんですね?!
2 教育哲学者・苫野一徳さんは?
だれもがみんな、<自由>に生きたいと思っています。
でも、<自由>に生きるためには、必ず何らかの「力」がいるのです。
例えば、読み書き・基礎的な算数ができなかったとしたらどうでしょう?きっと、電車に乗ることも買い物をすることも困難でしょう。そればかりか、契約書が読めないばかりに誰かに騙されて、まるで奴隷みたいに働かされてしまうとううことだってあるかもしれません。
それはとても<不自由>なことです。
もちろん必要なのは、読み書き等の基礎的な「力」だけではありません。スポーツ選手になりたいのであれば、そのための「力」がいるでしょう。学者になりたいのなら、膨大な「知識」がいるでしょう。世界で活躍するビジネスマンになりたいのなら、外国語力や世界についての「教養」がいるでしょう。
私たちは、<自由>に生きるために実にさまざまな「力」を必要としています。
勉強することは、これらの私を自由にしてくれる「力」を身につけることなのです。
誰からも束縛されず、自由に自立して生きていくためには、そのための「力=知識・技能、思考力・判断力・表現力、意欲的に学習に取り組む態度」が必要。だから勉強しなければならない。この考えもシンプルで分かりやすいですね。
みなさんは「勉強することの意味」についてどう思われますか?